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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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2.日本書紀に従った歴史の記述 (赤猪子)

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2.日本書紀に従った歴史の記述 :大和岩雄氏のブログより
 現在では日本書紀と古事記をいずれも「歴史書」と呼び、両者を混同している人も少なくない。しかし古事記はそもそも歴史書ではなく、ただ日本書紀の記述順序に従って、説話を配列したものである。
 赤猪子(あかいこ)の話などは、その典型である。天皇があるとき、美和河(三輪川)のほとりで一人の美少女に出会い、「いつか宮中に召すから、結婚するな」と言い残した。しかし天皇はそのことをすっかり忘れてしまい、その美少女(赤猪子)は八十才の老婆になるまで待っていた。それから百取(ももとり)の机代物(つくえしろのもの:結婚の時の嫁からの捧げ物)を持って、天皇のもとを訪れた。天皇は「まるで憶えていない。だが、この年まで結婚せずに待っていたというのは、あわれである」と述べ、丁重にもてなした。せっかくだから一度ぐらい男女の交わりをしようと思ったが、あまりにも老婆なのでかえってかわいそうだと思って何もせず、たくさんの贈り物を持たせて帰した。
 いかにも昔話で、誰でも作り話だと思うだろう。だが、ともかく古事記の描く雄略の姿は、ちょっと間抜けで心優しい大王だった。
 日本書紀には他にも悪王が登場する。それは武烈天皇だ。古事記はこの天皇のことをほとんど何も書いていない。また欽明紀の百済での敗戦の状況も、古事記にはない。
 それを「摂政」として、天皇表記を削り取ったのは、桓武天皇代のことであろう。弘仁私記の序によると、延暦代に「誤った系譜」を伝える本を焼き捨てさせたという。われわれが現在目にすることができるのは、それ以後の写本である。
 だが、細註の形で途中に埋め込まれた文までは、修正の目が行き届かなかった。そのため、本文ではすべて「皇后」としてあるのに、細註には「天皇」という表記が残った、と思うのである。
 もしそうだとしたら、神功皇后を天皇の系譜に含めない古事記は、桓武天皇以降の述作だということになるわけだ。
 ただしこれは確実な証拠がない話であるから、あまり固執はしない。神功皇后を「天皇」と明記した史料は多くない。仮に桓武天皇
が「神功皇后を『天皇』と書いたものは良くないから、すべて『皇后』に改めよ」と詔勅したとしても、完全に抹消することは困難だったはずであり、風土記などではもう少したくさん見つかってもいい。

とか書かれておりました。
 


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