大和岩雄氏のブログより
古事記はなぜ書かれたか
古事記は、その序文において、編作の動機を明記している。天皇の勅命を受けて、各氏族の伝承から「削偽定実」を経て、正しい歴史を記述することだったという。このことはよく知られた話だ。しかしなぜこの時期にそれが必要だったのか、その八年後に編纂が開始された日本書紀では、なぜ古事記を漢文化するだけで済ませられなかったのか、古事記が「削偽」したはずの多数の異説が、なぜ日本書紀に改めて列挙されているのか、疑問は尽きない。
それどころか、古事記には、日本書紀のどの「一書」にもない異説が述べられている。一例を挙げると、たとえば宗像三神の誕生の順序は、日本書紀に各種述べられているのに、古事記はそのどれとも異なっている。それは日本書紀に漏れた伝承を記録しようとした結果ではあるまいか。つまり日本書紀を読んだ人物がその内容に不満を持ち、自家の伝承を元に、新たに書き下ろしたのではないのか?
古事記は、序文で述べる述作時期より、百年後に忽然と現れた書物である。弘仁私記の多人長によって存在が明らかにされ、彼の歴史観にぴったり一致している。しばしば古事記真書説の根拠になる万葉仮名の用法も、彼は知り尽くしていた。つまり古事記が偽書だとすると、多人長がその「犯人」である可能性は大きい。
(上記については、万葉集に採録された歌があり、多少訂正を必要とする)
古事記偽書説は目新しいものではないそうだ。本居宣長の詳細な研究が現れるまでは、むしろ偽書説の方が有力だった。しかし日本書紀に並ぶ「神聖な」書であると考えられるようになったのは、明治皇国史観においてである。
古事記が日本書紀を参照して書かれたという証拠(状況証拠)はあるが、日本書紀が古事記を参照したと思われる部分はない、とも言う。多くの神々という意味で「八百万(やおよろず)」の神、という表現があるが、日本書紀では「八十万(やそよろず)」と表記し、古事記では「八百万」と書く。これも明らかに日本書紀の方が
古代的な表現で、古事記はかなり時代が新しいのだそうだ。
(ちなみに、古事記より早く出現した「古語拾遺」では、常に「八十万」と表記する。日本書紀に合わせただけとも取れるが、この頃はまだ八十万の表記が一般的だったとも考えられる)
他にも怪しい状況はあるが、それは別項に譲るとしよう。もし多人長が古事記を編作したのだとすれば、その動機は何だったのだろうか。
と書かれておりました。
コメント
大和岩雄氏のブログを読ませていただきました。
とても詳しく書かれているので紹介します。
この中で時々私の意見を述べさせていただきます。
今日はここまでまた夢の世界でお会いしましょう。。