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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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サルマタイ時代の遺跡 中期

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サルマタイ時代の遺跡

中期   Wikipediaより
サルマタイ文化は中期サルマタイ時代に最盛期を迎えた。この時代の文化はサラトフ市の北のヴォルガ川左岸に位置するスースルィ村古墳群にちなんでスースルィ文化と呼ばれる。サルマタイの墓はヴォルガ川下流域から北カフカス、黒海北岸、ドナウ川流域にいたる広範囲に分布する。トルコ石やザクロ石、練り物などを動物の体躯などに像嵌した多色装飾の動物様式を持つ金製の武器、馬具、ディアデム、容器などがイタリアおよびローマ辺境諸州から輸入された銀製容器などと一緒に発見されることがこの時代の大きな特徴である。このような資料が出土した例としては、ドン川下流域右岸のホフラチ古墳や、サドーヴイ古墳がよく知られている。とりわけサドーヴイ古墳出土の多色動物様式の金製馬具装飾はサルマタイばかりでなく、ピョートル大帝シベリア・コレクションの中にも類例が知られている。また、青銅製鍑(さがりかま)も多数発見されている。鍑は前期サルマタイ時代から知られているが、この時代になると、さまざまな形態の鍑が登場している。主要な形式としては、胴部が卵形で、半円形の柄に突起が3つあり、垂直に立った柄の付け根から口縁部に口ひげ形の小さな突帯が連続するように付き、胴部の一番幅の広い部分に縄目を模した突帯がめぐるものであり、円錐台形の圏台がつくものと、圏台がないものとがある。また柄が動物形となるものもしばしば見られる。このような特徴的な資料は特にドン川流域を中心に分布しており、当時のサルマタイ文化の中心がこの地域にあったことを示唆している。一方、前期サルマタイ時代の中心地であった南ウラル地方ではこの時代にはサルマタイの埋葬址が減少しており、サルマタイが全体的に西に移動したことを示している。中期の埋葬の多くは先行する時代の古墳を利用した再利用墓であるが、一部は低平で比較的小規模な古墳を築いたものもある。埋葬儀礼は前代とほぼ同様である。墳丘では木炭や灰の層と馬や牡羊の骨が検出され、また時折青銅製鍑が発見されることで、埋葬後に墓上で火を炊き家畜を生贄にして追悼宴が行われたことを物語っている。

と書かれておりました。

「墳丘では木炭や灰の層と馬や牡羊の骨が検出され、また時折青銅製鍑が発見されることで、埋葬後に墓上で火を炊き家畜を生贄にして追悼宴が行われたことを物語っている。」

これは拝火教を思わせる秋葉山古墳に似ていますね。

今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。

追記 拝火教の原点はアフガニスタン山岳地帯と聞いております。

拝火教は「人類の出発点は二本足で立つ事と火を使う事」を示していると思われます。

更に猿の線刻画は「人類は猿から進化した。」といっているのではないかと考えています。

皆さんはどのように受け取っているのでしょうか。


 


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