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サルマタイ文化  古墳の特徴

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サルマタイ文化
古墳の特徴  Wikipediaより
前期サルマタイ時代の遺跡
前期サルマタイ文化はオレンブルク州プロホロフカ村古墳群の発掘によって明らかにされたため、プロホロフカ文化と呼ばれる。プロホロフカ文化は紀元前4世紀にはまだ南ウラル地方に分布の中心があったが、同世紀末までにヴォルガ・ドン川流域に拡大し、さらに紀元前3世紀にはドン川を越えてドニェプル川流域に達している。
ノーヴイ・クマク村古墳群
•    プロホロフカ文化の早期の埋葬址であるオルスク市近郊ノーヴイ・クマク村古墳群では、発掘された19基の古墳のうち、サウロマタイのものが12基、サルマタイのものが4基であった。サルマタイに関係づけられた12号墳ではポドボイ墓が作られていたが、副葬品のセットはサウロマタイと同様であった。しかし、プロホロフカ文化に特徴的な丸底の壺型磨研土器や頸部が高く胴部が洋梨型に膨らんだ水差型土器が発見され、両文化の混合が見られた。この墓は鏃と剣の形式から紀元前400年頃に比定された。地下式横穴墓の例としてはメチェト・サイ8号墳5号墓がある。長さ4.6m、幅1.7~1.9mの羨道(えんどう)が北から南にのび、墓室に通じていた。墓室には細い木材で枠組みされた台に身分の高い2人の巫女(みこ)とみなされた女性が豊かな副葬品とともに並んで葬られていた。耳飾りや腕輪などの金銀製品を身につけた右側の女性は長さ50㎝、底部直径が14㎝の箙(えびら)を左足下に置いていた。箙には10本の矢が残されていた。矢柄は白樺あるいはポプラ製、鏃は青銅製であった。西側には白亜の塊と貝殻があり、その南側で青銅製の大きな柄鏡(えかがみ)とその木製ケース片が発見された。左側の女性は25~30歳の年齢で、銀製装飾品を身につけていた。東側には第二の青銅製柄鏡があった。直径15.5㎝。鏡の下には植物を編んで作った入れ物の痕跡があり、革と木が残存していた。鏡は鏡面と鏡背が別々に鋳造され、接合されたものである。柄は短く中子状に先端に向かってすぼまっている。鏡背の中央部には円錐形の突起があり、その外側に断面が半円形の第一の突帯がめぐり、さらに鏡の縁に沿って断面が高い五角形の第二の突帯がめぐっている。中央部と第一の突帯との間には二重同心円文があり、第一と第二の突帯の間には小アジア起源の人物と動物が表現された図像がある。中央部に突起があり、縁が高く盛り上がった円形の柄鏡は前期サルマタイ時代に特徴的な形式であり、中央アジアからヴォルガ川流域にかけて広く分布した。墓は鏃によって紀元前4世紀に編年されている。

カリノフカ村古墳群
•    ヴォルガ川下流左岸に達したプロホロフカ文化の古墳の一例としては、ヴォルゴグラードの北35㎞に位置するカリノフカ村古墳群がよく知られている。発掘された62の古墳には全部で253基の埋葬が行われ、サウロマタイ・サルマタイ時代に関係づけられているものが159基あった。サウロマタイ時代が5基、前期サルマタイ時代が63基、中期サルマタイ時代が60基、後期サルマタイ時代が31期(基?)である。前期に編年される墓はいずれも前代の古墳を再利用したもので、幅の狭い隅丸方形の竪穴墓、墓室の広いポドボイ墓、入口坑が横穴の長軸側にある地下式横穴墓の3型式に分類される。とりわけポドボイ墓では単独葬ばかりでなく、入口坑から左右にポドボイが造られ家族が埋葬された合葬墓がみられた。12号墳28号墓では入口坑から東西にそれぞれ墓室が造られていた。西側墓室には奥から未成年者、成人男性、子供、成人女性の4体が安置されていた。未成年者の埋葬はポドボイの西壁に造られたさらに小さな掘り込みに行われていた。東側墓室では成人男性2体が埋葬されていた。被葬者は仰臥(ぎょうが)伸展葬で頭位は子供を除いてはいずれも南南西である。墓室は木材で閉塞され、さらに上から草や葦の層で充填されていた。副葬品は、西側墓室の男性にはガラス製ビーズ、牡羊の肩甲骨と白亜、女性には青銅製指輪2点とガラス製ビーズ、壺型土器などが供えられていた。また、東側墓室の一方の男性は青銅製鏡断片や、鉄製ナイフなど、他方の男性は鉄製鏃などを伴っていた。鏡は縁が高く盛り上がった形式である。
クヴァシノ埋葬址
•    アゾフ海北岸のクヴァシノ駅で発見された埋葬址では鉄製矛2点、鉄製銜(くつわ)3点と銜留具1対が出土した。矛はクバン川流域のマイオタイで発見される型式に類似し、銜は全体が撚ったようなねじれ文様があり、両端がくるりと丸められ環となる。銜留具は2孔式で彎曲した形で、紀元前3世紀までに編年されている。さらにドニェプル川下流域では紀元前4~3世紀までに編年されるサルマタイの墓が少なくとも5基知られている。それらは対角線埋葬や鏃(やじり)などの特徴によって判断されている。

と書かれておりました。

ノーヴイ・クマク村古墳群の柄鏡は日本の銅鏡やアストロラーベに似ています。

使用方法は書いてありませんでした。

この場所は海や砂漠とは縁がありません。

もう一つ青銅の鏡にガラスが貼ってあったのか否かが書かれておりませんでした。

たいがい、張ってはいなかったのでしょう。その訳は朱が出てこないからです。

更に、幅の狭い隅丸方形の竪穴墓は日本の出雲地方に見られる四隅突出墳なのかしら?

巫女さんまで出てきましたね。

今日はここまでまた夢の世界でお会いしましょう。


 


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