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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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タタール6 西・南ヨーロッパ

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  タタール6 西・南ヨーロッパ
7 たたら製鉄とタタール人

韃靼
13世紀から17世紀において、多様なタタール族がポーランド・リトアニア共和国に移住や難民とし居住した。リトアニア大公王は、高いスキルの戦士とし知られていたタタール人を好んだからである。13世紀–14世紀の間、リプカ・タタール人 が移住し、15世紀–16世紀はクリミア・タタール人とノガイ族などが移住し、ポーランド軍で高い評価を得ていた。16世紀–17世紀に、ヴォルガ・タタール人が移住した。主にリトアニア大公国、(現、リトアニア、ベラルーシ)に定住した。ポーランドには、リプカ・タタール人を筆頭に、バザールを起源とするクリミア・カライム人(ロシア語版、英語版)など多くのタタール系やテュルク系民族が定住した。
西・南ヨーロッパのタタール
バトゥの征西は東ヨーロッパのポーランドからハンガリーまで達し、ルーシのみならず西ヨーロッパ・カトリック圏にも大きな衝撃を与えているが、西ヨーロッパの人々は、ロシア語のタタールという名をさらにギリシャ語で地獄の住民を意味するタルタロスに重ね合わせ、モンゴル人たちをタルタル人と呼んだ。そしてモンゴル帝国以来、中央ユーラシア、中央アジア、北アジアの諸民族をタルタル人と呼ぶ言い方が長く残ることになる。
例えばモンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた。17世紀に中国で清を立てた満州人はツングース系の非遊牧民であるが、彼らもヨーロッパ人にはタルタル人の一種とみなされていた。近代に中央ユーラシアの諸民族に関する知識がヨーロッパの人々に根付くにつれ、タルタルの名は使われなくなっていくが、その名残は現代において払拭されてはいない。例えば、ヴォルガ・タタール人などのタタールの名を冠する民族が英語圏で言及されるとき、Tatars ではなく Tartars と綴られることもしばしばである。
たたら製鉄とタタール人
たたら製鉄はタタール人によって日本にもたらされたとする説がある。この謎の解明しようと、ロシアのタタルスタン共和国の視察団が島根県で現地調査を進行中であると報じられた。
と書かれておりました。
最後に書かれている「たたら製鉄とタタール人」は本当だろうか。
これが正しいとすれば何時頃タタール人は日本に来たのだろうか。

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