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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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岩戸伝説の余談 5 製作開始時期

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岩戸伝説の余談 5 製作開始時期
実際の製作開始時期を調べてみましょう。
 前回 述べましたように、天武天皇が もしベガの軌跡図をプレゼントされていたら、持統天皇に 悠久の舞を躍らせていたはずであり、本人の喜びはいかばかりであろうかと想像されます。
しかし このような 史実は掲載されておりません。
 そのため 天武天皇の崩御後(686年)に誰かが舎入親王にこのベガの軌跡図をプレゼンしたのではないかと想定されます。
そこで 舎入親王の計らいで 「父の天武天皇の頼まれごと」としたのではないかと思われます。ここいらあたりが真実ではないかと思います。
 それでは 「何時ごろか」となると 持統5年(691年)5月条に
「十八の氏に詔(みことのり)して、その祖先達の墓記(おくつきのふみ)を納めさせた」という記事があります。
この詔の動機が ベガの軌跡のプレゼンではないかと思われます。
そうなると 690年前後となります。
 690年は 藤原京遷都となり この藤原京は 畝傍山、耳成山、香久山の三山の中心聖地に造られております。この御祝いかもしれません。 
外交交渉も新羅一辺倒の天武政権から持統天皇の唐への外交に変更してきています。
 そして この時代は 白村江(はくすきのえ)の戦いの敗戦処理も落ち着き、遣唐使を送り始めた時代と思われます。
そして 日本の内部においては 百済、高句麗、新羅の半島の人々が沢山 渡来していたと思われます。
チノちゃんとしては 上記の帰化人の文化が入り込んだと考えます。
  前にも書きましたが、日本古来のストーンサークルや前方後円墳の文化と同じものが、ベガの軌跡図であり、これは先史文明の歳差暦を基にした文化です。当時の説明者はこの下地を上手に突いたものと思われます。

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