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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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「古朝鮮」史を「国民史」と言えるのか

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▼「古朝鮮」史を「国民史」と言えるのか
Wikipediaより
 わが紀記の建国神話が本当に古来からの言い伝えではないように、建国神話とは意外にも、歴史と同様、作られたものである。たとえ史実の投影があろうとも、せいぜい成立期のその一昔前程度のものにすぎない。檀君神話が顕在化するのは高麗時代のことで、蒙古来襲の十三世紀に僧侶の一然が著した史書『三国遺事』にその神話は初めて明確に語られる。奇妙なことにそこまでの間には、高句麗・百済・新羅が鼎立した三国時代や約260年間の統一新羅の時代が寡黙に横たわっている。

 韓国教科書の言い分はこうだ。さすがに実在とはしないが、「檀君」に擬せられる王が生まれるほどに朝鮮文明は十分に熟しており、しだいに古朝鮮王朝として成長していったと。だから、中国文献に登場する伝説の「箕子」とは実は朝鮮人であったか、古朝鮮の一部を担った「中国人」(注)であろうと。また、実在と認めてよい衛満は確かに燕に居たが、「民族」的には朝鮮人であったろう。なぜなら、王都(平壌か)へ入場のとき、「朝鮮民族」の風俗をしており、それに「朝鮮」という国名も引き継いだのだから、と述べる。

(注)これも現在から逆算した奇矯な言い方ではある。たとえその「中国人」を「漢民族」だとしても、現在の漢民族ではないのだから。

 「民族」(nation)とは、実は近代国家(nation-state)を前提とした言い方である。まあ、そこまでは言わないまでも、古代人がそのまま現在の国民になったとは言えない。わが日本でも、長らく中央政権に従わなかった関東以東の「毛人」や「蝦夷」は、少なくともその時点では日本「国民」(nation)と呼べないであろう。だから、古代日本史とは正確には日本列島地域史であって、決して日本「国民史」ではないのである。同様に、古代朝鮮史とは朝鮮半島及び満州地域史として理解しなければならない。

 にもかかわらず、朝鮮人はなぜ「檀君」を、そして「古朝鮮」を持ち出すのか。言うまでもなく、「朝鮮」の望ましき「始まり」を語りたいがためである。「朝鮮」は中国文明とは独立にあり、かつ現国土よりも広大な領土を有する「民族」であったと語りたいがためである。揚げ足を取るようで心苦しいが、檀君紀元とは中国の堯舜神話の堯帝即位年から弾き出されたものである(注)。それに、古朝鮮の版図とは「朝鮮民族」ではなくツングース族の拡がりであり、それはかえって「民族」の起源について馬脚を晒してしまっている格好なのである。

(注)全くわが神武紀元と同様、後世の操作によって作られた代物である。そうしなければならなかったことは、「朝鮮」への中国文明の影の深甚さを逆証明する。
と書かれておりました。
コメント
チノちゃんの理解としては、
燕の国の衛満が半島を支配したと言われていますが、半島史としては、海洋民族の弥生民族が先に到来しています。
そして更にその前に、日本海周辺に土着民族が定住していたと思われます。これが東アジアの濊族です。
従って、底辺の母体は濊族であり、支配君臨した民族は色々沢山来ましたが少数ではなかったかと思われます。
現在でもその傾向が残っているのではないでしょうか。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。
 

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