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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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サッポーとホメーロス

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サッポーとホメーロス    Wikipediaより
しかし、このような特異な思想を語ったプラトーンはまた、時期によっては、神話(ミュートス)を青少年の教育に不適切であるとする一方で、自分の著作に、ふんだんに寓意を用い、真実を語るために「神話」を援用した。ポリスの知識人階級のあいだでは、古来のギリシア神話の神々や英雄は、崇拝の対象ではなく、修辞的な装飾とも化した。こうしてアレクサンドロスがアケメネス朝を滅ぼし、みずからが神であると宣言したとき、「神々への信仰」はポリス共同体から消え去った、あるいはもはやポリスはこのような宗教的情熱を支えるにはあまりにも変質してしまったのだと言える。神話(ミュートス)が備えていたリアリティは消失し、神話と現実の分離が起こった。
人々の敬神の伝統はそれでもパウサーニアースが紀元後になって証言しているようにアテーナイにおいても、またギリシアの地方や田舎にあってなお続いた。一方で、アリストテレースは「歌うたいが法螺をふいている」と著作のなかで断言した。
ギリシア神話の展開と変容
古典学者ピエール・グリマルはその小著『ギリシア神話』の冒頭で、「ギリシア神話」とは何を指す言葉かを説明している。グリマルは、紀元前9-8世紀より紀元後3-4世紀にあって、ギリシア語話圏で行われていた各種の不思議な物語、伝説等を総称して「ギリシア神話」とする。この広範な神話圏は、紀元前4世紀末または前3世紀初にあって内容的・形式的に大きな変容を経過する。一つのは文献学の発達と、書物の要約作成によってであり、いま一つは、生きた神々への敬神の表現でもあった詩作品などに代わる、娯楽を目的とした作品の登場によってである。

と書かれておりました。
 


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