スキュレス王のバッコス信仰 Wikipediaより
スキュタイの王アリアペイテス(Ariapeithes)がアガテュルソイ王スパルガペイテス(英語版)によって謀殺されると、アリアペイテスの子であるスキュレス(Scylas)が王位を継いだ。スキュレスの母はイストリアの出身でギリシア人であったため、子のスキュレスにギリシア語とギリシア文字を教え、ギリシア風の教育をさせた。そのためスキュレスはスキュティアの王位を受け継いだものの、スキュティア風の生活(遊牧生活)が好きになれず、ギリシア風の生活を好むようになり、スキュタイの人目を忍んではボリュステネス人(農民スキタイ)の町(オルビア)へ出入りし、ギリシア風の服をまとい、ギリシア風の生活を送っていた。さらにスキュレスはスキュタイが嫌っているディオニュソス・バッケイオス(バッコス)の信仰に入信してしまう。のちにこれらのことが、あるボリュステネス人の密告によって明らかとなり、スキュタイらはスキュレスの異母弟であるオクタマサデスを立ててスキュレスに反旗を翻した。スキュレスはこれを知るなりトラキアへ逃亡し、オクタマサデスらはスキュレスを追ってイストロス河畔に達した。この時、トラキア・オドリュサイ王のシタルケスはスキュタイとの戦闘を避けるべく、互いの亡命者を引き渡すことを和平案として、甥でもあるオクタマサデスと交渉し、スキュレスを引き渡した。スキュレスはその場でオクタマサデスによって斬首された。
と書かれておりました。