エジプト第17王朝
Wikipediaより
エジプト第17王朝(紀元前1663年頃 - 紀元前1570年)は、第2中間期時代の古代エジプト王朝。いわゆるヒクソス(ヘカ・カスウト 異国の支配者達の意)が下エジプト(ナイル川三角州地帯)に第15王朝を建てて支配権を握っていた時代に、テーベ(古代エジプト語:ネウト、現在のルクソール)を中心とした上エジプト(ナイル川上流)で支配権を持った。当初は第15王朝の権威に対し臣従していたが、やがて異民族追放を大義名分として第15王朝と戦いこれを滅ぼしてエジプトを統一した。これを以って第2中間期の終焉、新王国時代の始まりとされる。また慣習的にエジプト統一を成し遂げたイアフメス1世からは第18王朝とされているが、第17王朝と第18王朝は完全に連続した政権である
マネトの記録によれば第17王朝には43人のヒクソス王と43人のテーベ(ディオスポリス)王が含まれるとされている。個々の王名が採録されていないが、ヒクソス王とされている付加的な王は第16王朝の諸王と同じく、第15王朝に従う多数の小集団の支配者達であったと考えられる。テーベ王とされている人々は上エジプトの一連の地方的支配者であった。
と書かれておりました。
要約すると下エジプト(ナイル川デルタ地帯)の15王朝はヒクソスが支配しており、17,18王朝の祖先は上エジプト(ナイル川上流:ルクソール)の支配はしていたが、ヒクソスに臣従していたことになる。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。