敵を欺く「孫子」の兵法は日本人のスタイルではない
Wikipediaより
「闘戦経」の著者の大江匡房(まさふさ)は、朝廷で「六韜」「三略」「孫子」などの中国の兵書の管理をしている兵法の大家の35代目であった。斎藤孝氏は冒頭で、「闘戦経」と「孫子」の関係について、こう述べている。
その当時は特に「孫子」が広く世に知れていましたが、大江匡房は「孫子」の説く「兵は詭道なり」つまり「戦いの基本は敵を欺くことにある」という兵法はどうしても日本人のスタイルではない、と考えたのです。
「戦いというのはただ勝てばいいと言うのではない、ズルをして勝つのではなく、正々堂々と戦うべきである」と、中国ではなく日本の戦うスタイルを宣言しました、それが「闘戦経」なのです。
そうした思いを匡房は「闘戦経」を入れた函に金文字で書いています。
「『闘戦経』は『孫子』と表裏す。『孫子』は詭道を説くも、『闘戦経』は真鋭を説く、これ日本の国風なり」
p1
「武」が秩序を生み出す力であるとしたら、単に戦闘に勝てば良いというものではない。敵を欺いて勝ったとしても、その敵は恨みを抱き、いつか復讐してやろうと思うだろう。それでは真の平和にはつながらない。まさに中国大陸のように戦乱の世が続く。
「孫子」は戦闘に勝つ方法を教えた。「闘戦経」は世を治める道を教えている。そこに次元の違いがある。
「日本では真実をよしとする」
それでは「闘戦経」では、どのような闘い方を理想とするのか。匡房はこう説く。
中国の古い文献では相手を騙すことも1つの作戦としていいことだと言う。しかし日本では真実をよしとする。偽(いつわり)は所詮(しょせん)偽りにすぎない。鋭く真実であれば、やがてそれははっきりとした結果を生む。
漢の文は詭譎(きけつ)有り、倭(わ)の教は真鋭を説く。詭ならんか詭や。鋭なるかな鋭や。
p35
この一節を斎藤孝氏はこう解説する。
「闘戦経」では日本人の価値観を的確に捉えていて「どんな手を使っても勝つことをよしとするのではなく、正々堂々と戦うことがまず大切だ。何か汚い手を使って勝つよりも、負ける方がまだいい」といった潔(いさぎよ)さを求めるのです。千年近くも前に書かれた本に、現代にまで続く日本人の価値観が記されていることに驚きます。
例えばサッカーの国際試合などでは審判の見ていないところでズルをする外国の選手をよく見ます。わざと倒れて相手に反則の判定をとらせるなどということもよくあります。日本はそうしたずる賢さがないから勝てないんだと言われたこともありました。しかし、日本人にはそうしたことができないのです。
そして今は、日本チームはそれでいい、フェアプレーを貫いて正々堂々と闘おうではないかという、それが日本のスタイルになっています。高校野球もまさに正々堂々、そこに日本的教育があります。
と書かれておりました。
と書かれておりました。
囲碁の世界でも、人に教える時、ハンデキャップもあり、相手がそれなりに強ければ、無理矢理勝とうとはしません。相手の力を認めるのも、一つの考え方ではないでしょうか。
この考え方は、漢系・劉氏と鮮卑系・慕容氏との違いにも似ています。支配の考え方で、国民を奴隷と見るか、財産と見るかの違いのようにも見えます。
つまり、日本人の心のルーツの中に、上記の両方の考えが内在していると思われます。皆さんはどちらでしょうか。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。