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Channel: 五千年前の大洪水と先史文明研究ゼミ
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天孫降臨説と道祖神

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天孫降臨説と道祖神
道祖神、八衢祖神、猿田彦ということばは、日本書紀の神代の部の天孫降臨説にでてきます。
 その内容は『「天照大御神の孫・ニニギノミコトが地上に降りてきて日本を建国しました」』と言っています。
 そこで「ヤチマタ」については、ニニギノミコトが地上に降りてくる際に、天上界と地上界との分かれ道に猿田彦が待っていて、地上界に案内します。この分かれ道をヤチマタといいます。
 四方八方に伸びる放射線状の道の中心部です。
 二次元の平面ではなく、三次元の立体に注目してください。
 

  昔の部落は一族で暮らしていたと思われます。つまり道祖神は一族の神であり、この神はニニギノミコトと共に天より舞い降りたこととしています。
しかし『これらの具体的な由来や説明は残っておらず、不明とされております。』 私はこれを史実に基づいて説明したいと思います。
日本書紀の神代の部は、全て「神が天より降りてきました」から始まる天動説で書かれております。

天動説の詳細は、ここでは割愛させていただきます。
 天孫降臨説の前に、天岩戸伝説が書かれています。
この説の詳細も割愛させていただきますが、ここでは要約し、その史実に絞ってお話しします。

  飛鳥時代の前の壬申の乱を天の岩戸に擬(なぞら)え、持統天皇(ウノノササラ媛)は天照大御神に、天武天皇(大海人皇子)は須佐之男命に擬えています。
つまり、「暗い壬申の乱の後に、持統天皇と天武天皇が日本を建国し、明るい国となりました」としている建国神話です。
 この後に、天孫降臨説が続きます。「天照大御神の孫・ニニギノミコトが日本を建国しました」としているのは、「天照大御神は、持統天皇であり、持統天皇の孫とは、草壁皇子の子、文武(もんむ)天皇(軽皇子:かるのみこ)となります」 繰り返しますと、天孫降臨説とは、「持統天皇の後を孫の文武天皇が皇位に就いたことを意味している」と考えられます。
 

  
 しかし、日本書紀は西暦720年に発表されておりますので、今から約1,300年も前の出来事となります。
 話を戻しまして、本来の道祖神は部落の中心に置かれていたと思いますが、奈良時代、天然痘の疫病が大流行します。

 この時に部落の入り口である境界に移され、悪霊除けに置かれたのではないかと推測します。現在では、"どんと焼き"などの行事で悪霊退散に使用されているようです。
 以上が天孫降臨説と道祖神の史実に基づく、私の説明となります。
如何だったでしょうか。今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。


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