天孫降臨P
天孫降臨とは"日本書紀の神話"に使用されることばで、建国神話の分類の一つです。その内容は『「天照大御神の孫・ニニギノミコトが地上に降りてきて日本を建国した」』と言っています。
そこで「ヤチマタ」については、ニニギノミコトが地上に降りてくる際に、天上界と地上界との分かれ道に猿田彦が待っていて、地上界に案内します。この分かれ道をヤチマタといい、ここに各部落の道祖神を置いたようです。 神が降りた所と思われます。
しかし『これらの具体的な説明は残っておらず、不明とされております。』 私はこれを史実に基づいて解明したいと思います。
日本書紀の神代の時代は、全て「神が天より降りてきました」から始まります。この「神が天より降りてくる」と言うのは、「星や星座が空から降りてくると言う左回り(反時計回り)の天動説であり、太陽や月が東から昇り、西に沈む右回り(時計回り)の反対の回転となります」
天動説の詳細は別のところで説明いたします。
天孫降臨説を説明する前に、天岩戸伝説が先に書かれています。
天岩戸伝説の詳細は別のところで説明いたしますが、ここでは要約し、その史実に絞ってお話しします。
壬申の乱を天の岩戸に擬へ、天照大御神はウノノササラ媛に、須佐之男命は天武天皇に擬えています。
つまり、「暗い壬申の乱の後に、ウノノササラ姫と天武天皇が日本を建国し、皇位に就き、明るい社会となりました」としている建国神話です。
この後に、「その後として始まる天孫降臨説とは、天岩戸伝説の後の建国神話となります」
「天照大御神の孫・ニニギノミコトが日本を建国しました」としているのは、「天照大御神はウノノササラ姫、改め持統天皇であり、持統天皇の孫とは、草壁皇子の子、軽皇子となります」
つまり天孫降臨説とは、「持統天皇の後を軽皇子、改め文武天皇が皇位に就いたことを意味している」と考えられます。
これが天孫降臨説の意味になると思われます。
また、これは宮中の出来事であり、古事記とは一線を画すものでもあります。更に宗教的な違いもあり、この頃盛んになった仏教縁起とは異質なものと思われます。
尚日本書紀は西暦720年に発表されておりますので、今から約1,300年も前の出来事となります。
ただ、道祖神や衢(やちまた)祖神、猿田彦信仰は、この後始まったと思われますが、いつ、それは始まったかは不明です。
以上が天孫降臨の史実に基づく、私の説明となります。
如何でしょうか。
今日はここまで、また夢の世界でお会いしましょう。